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第4章 里内裏の記憶

前章では、内裏の火災などを背景に、貴族の邸宅が天皇の仮の御所として使われた「里内裏」について触れました。
では、現在のKAGUYAの周囲には、実際にどのような御所が存在していたのでしょうか。
平安京の地図をたどってみると、この一帯には、時代を変えながら天皇や上皇に関わる御所がいくつも置かれていたことが見えてきます。

KAGUYAの周囲に点在した御所

上の図は、京都市埋蔵文化財研究所の『平安京図』をもとに、現在のKAGUYAを中心として周辺の里内裏を示したものです。

図を見ると、KAGUYAの周囲には、中六条院をはじめとして、天皇や上皇が使用した場所がいくつも点在していたことがわかります。
しかも、それらは一つの時代に集中していたわけではありません。
宇多天皇の時代から白河天皇・白河上皇、そして高倉・安徳天皇の時代へ。
およそ300年にわたり、この一帯では場所を変えながら、天皇や上皇に関わる御所が置かれていきました。

貴族の邸宅が、天皇の御所になる

ここでもう一つ興味深いのは、里内裏の多くが、最初から天皇のための御所として造られたわけではないことです。
もともと有力な貴族が所有していた邸宅が、天皇の住まいとして使われ、里内裏となった例がありました。
KAGUYA周辺でも、たとえば四条宮は、摂政・関白を務めた藤原頼通の娘・藤原寛子の邸宅でした。
中院は、白河上皇の近臣として知られる藤原顕季の邸宅でした。
また、四条東洞院内裏(四条内裏)は、摂関家の藤原忠通が所有していた邸宅です。
この一帯には、里内裏となった邸宅だけでなく、ほかにも貴族たちの邸宅がありました。その一つが、地図に見える菅原道真ゆかりの紅梅殿・白梅殿です。
白梅殿跡と伝わる地には、現在も道真を祀る菅大臣神社があり、その北側には、道真の父・是善を祀る小さな北菅大臣神社(紅梅殿神社)が残されています。
かつて紅梅殿・白梅殿があったとされる一帯の一部には、今も「菅大臣町」の名が残っています。

「宮中」は、ひとつの場所ではなかった

里内裏の存在から見えてくるのは、平安時代の宮中が、必ずしも一つの場所だけで営まれていたわけではないということです。
貴族の邸宅が天皇の御所となり、その周囲に公卿や役人が集まり、政治や儀礼が行われる。
御所が移れば、宮中の営みもまた、平安京のなかを移動していきました。
現在の新町通と高辻通が交わるKAGUYAの周辺も、そうした平安京の動きと無縁な場所ではありませんでした。
いま私たちが歩いている街路の周囲には、かつて天皇や上皇が暮らし、人々が行き交った場所がいくつも存在していたのです。

区画・邸宅名は、京都市埋蔵文化財研究所『平安京図』を参考に作成しています。

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