新町通も高辻通も、千年を超える時のなかで、道幅や周囲の街並みを変えてきました。
それでも、その道筋は今も京都のまちなかに受け継がれています。
現在の新町通は、平安京の町尻小路にほぼ重なります。
その名は、宮中の修理や造営を担った職人たちが暮らした「修理職町」に由来すると伝えられています。
都を支える人々の暮らしが、この道の名に刻まれていたのです。
やがて豊臣秀吉による天正の地割を経て、町尻小路は現在の新町通へとつながっていきます。
名は変わっても、その道筋は京都の中心部を南北に結ぶ道として受け継がれてきました。
一方、現在の高辻通は、平安京の高辻小路にほぼ重なります。
「高辻」の名は、このあたりの地形に由来すると伝えられています。かつて周辺よりも少し高くなった土地があり、その「高い辻」が道の名になったともいわれています。
新町通とは異なり、高辻通には、平安京の時代から「高辻」という名そのものも受け継がれているのです。
この土地の高さは、後にこの地域の歴史とも深く関わっていくことになります。
平安京の道の中には、後世まで受け継がれなかったものもありました。
そのなかで、新町通と高辻通には、平安京の道筋が今も残されています。
千年前の人々が歩いた道を、私たちもまた歩いているのです。