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第2章 新町通と高辻通― 千年続く道の物語 ―

新町通も高辻通も、千年のあいだ変わらず同じ姿であり続けたわけではありません。
現在の新町通は、平安時代には町尻小路と呼ばれていました。
その名は、宮中の修理や造営を担った職人たちが暮らした「修理職町」に由来すると伝えられています。
都を支える人々の暮らしが、この道の名に刻まれていたのです。
やがて豊臣秀吉による天正の地割を経て、町尻小路は新町通と呼ばれるようになりました。
時代が移り変わっても、この道は京都の中心部を南北に結び、人々の往来を見守り続けてきました。
一方、高辻通の名は、このあたりの地形に由来すると伝えられています。かつて周辺よりも少し高くなった土地があり、その「高い辻」が通りの名になったともいわれています。この土地の高さは、後にこの地域の歴史とも深く関わっていくことになります。
平安京の道の中には、後世まで受け継がれなかったものもありました。しかし、新町通と高辻通は名前や街並みを少しずつ変えながらも、今なお京都の暮らしの中に息づいています。
千年前の人々が歩いた道を、私たちもまた歩いているのです。

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